「神さまのもとで生きている」  08.06.29
                      マタイ4:12〜17

 主イエスは、私たちが生きていく上で必要なこととして「主の
祈り」を教えてくださいました。その祈りによって、私たちの
生活が整えられていきます。
 この祈りの二番目の内容は、「み国を来たらせたまえ」です。
心を込めてこう祈ることで、希望を持って生きる生活が確立
されていきます。キリスト教には終末信仰と呼ばれるものが
あります。
 終末(歴史の終着点)には、神さまの愛と恵みが支配する
世界が来ることを信じる信仰です。キリスト教会の初期の
時代からクリスチャンは「マラナ・タ(主よ来たりませ)」という
言葉を口にしてきました。終末に主イエスが再びこられることを
信じ、その時を待ち望みつつ過ごすのが、キリスト教会です。
「み国を来たらせたまえ」は、その時に完成するみ国を待ち
望む祈りの言葉です。
 私たちの目の前の現実は、神さま以外のものが支配して
いるように思えることが一杯です。闇のようなものが支配し、
人間の罪が闊歩しています。しかし、イエスさまは、主の祈りに
おいてみ国が来る時へと目を向けさせてくれました。それに
よって、私たちは神ならぬものの支配は永遠ではないことに
気づかされます。
 私たちの出会う出来事は、なかなか納得できないことも
あります。さまざまな苦悩があり、理不尽があります。惨めさや
嘆きに出会います。しかし、主の祈りによって、み国が来る時へと
目が向けられます。その時には、それまでおぼろだったことが
明らかにされ、神さまの愛に満ちた導きの内にあったこと納得
できます(コリント一13:12)。み国を見据える者は、そのような
時を信じるゆえに、希望を失いません。
 神さまの支配されるみ国は、終末のことだけでなく、すでに
私たちにおいておこり始めていることです。主イエスは、
「み国は近づいた」とおっしゃって活動を開始されました。
 主イエスと出会う者に、主は「あなたのことを、神さまは
恵みの御手で治めてくださいますよ」と宣言なさいます。
主の祈りを祈る者は、すでに自分は恵みの神に治めて
頂いていると、信じるのです。